津軽/太宰治

津軽」著太宰治、読みました。

太宰がある年の春、故郷の津軽を訪れ、津軽のあちこちを歩き回るという内容です。
人間失格」や「斜陽」とは違って、どこか陽気な感じさえする太宰の旅行記

 或る年の春、私は、生まれてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであった。

(中略)

 私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私がそれを言ったところで、所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄の鍍金である。それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。どの部門から追及しても、結局は、津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝えることが出来たならば、昭和の津軽風土記として、まずまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。


太宰が自分の故郷についてあれこれ書いたり、旧友との親交だったり、呑んだくれたり、津軽の人となりを語ったり。実家に戻り、兄や親族とあったり、育ての乳母のたけと再会したり。
津軽について、そこであった人々について、太宰は印象に残ったことを忌憚なく描いている。そこには太宰なりの愛が感じられる。
当時の津軽の様々な風景、楽しい人々、なんだか太宰と一緒に津軽を旅しているような楽しさがあります。


「僕は、しかし君を、親友だと思っているんだぜ」実に乱暴な、失敬な、いやみったらしく気障ったらしい芝居気たっぷりの、思い上がった言葉である。私は言ってしまって身悶えした。他に言いかたが無いものか。

人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。

いいですね。太宰のへたれな気障ったらしさが。


乳母のたけとの再会はなんともいえない入り混じった感情が胸に込み上げてくる。
たけを求めて運動場のまわりのテントを歩き回る太宰はなんだかとても感動する。
そして、たけとの再会。

けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心てしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているのものなのだろうか。そうだったら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。そんな有難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしている奴の気が知れない。親孝行は自然の情だ。倫理ではなかった。

たけとの再会で、生まれてはじめての心の平和が訪れる太宰。
「親孝行は自然の情」。
僕もいつか心の平和の訪れと、親への孝行が出来たらいいと思う。


太宰のように改めて自分の故郷を想い、旅に出てみるのもいいかもしれないですね。
ありのままの故郷をみる。そこに何か発見できるかもしれないし、何もないかもしれないけれど、きっと楽しいことだろう。

それと、いつか津軽も行ってみたいな思いました。

さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。


津軽 (新潮文庫)

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