考えるヒント/小林秀雄

『考えるヒント』著・小林秀雄、読みました。

<私がここに毎月書いている感想に、「考えるヒント」という題がついている。私がつけたのではない。編集がつけた。そう題をつけられてみれば、そういうものかなと思っているだけだ。よく考えられた文章ではないが、考えるヒントくらいは書いてあるだろうという程の意味だろう。>

日本の文芸批評家である小林秀雄。「常識」「漫画」「良心」「歴史」……さまざまな切り口から語られる小林のエッセイ。

ひとつの事柄からどんどん深い思索・思考へとシフトしていく。軽妙な語り口ではあるが、内容がどんどん難しくなっていくので、しっかり読まないと内容が分からなくなることがある。小林秀雄の発想と思索の深さに驚嘆し、なにかしら「考えるヒント」を得ることができる。


難しい話のときは、なかなか読むのが苦しかったが、それでもすごく面白かった。自分がどこまで理解できたのかは分からないが、小林秀雄の深い思索に惹きつけられて読んだ。

印象に残っている話は、「良心」「歴史」「言葉」「平家物語」「批評」「お月見」。いや、改めて本をめくると、どの話も面白く、つい読み直してしまうものばかりであるが。

「良心」から抜き出してみる。

<人間の良心に、外部から近づく道はない。無理に近づこうとすれば、良心は消えてしまう。これはいかにも不思議な事ではないか。人間の内部は、見透しの利かぬものだ。そんな事なら誰も言うが、人間がお互いの眼に見透しのものなら、その途端に、人間は生きるのを止めるだろう。>

<考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る処に見える。物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ。だから、考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。>


「批評」の文も面白かったので抜き出してみる。

<ある対象を批判するとは、それを正しく評価することであり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。>


ということで、面白かったです。「平家物語」に出てきた大三島大山祇神社に行きたくなりました。
他の小林秀雄の本もいつか読んでみようと思います。

新装版 考えるヒント (文春文庫)

新装版 考えるヒント (文春文庫)